失敗とは、一つだけではない。
「駄目人間」とは何を指して「駄目人間」というのか。ただ単に客観性がない人を指すのか、常識力力がない人を指すのか、はたまた何をやらせても旨く行かない人を指すのか。言語的には全てそれらは「駄目人間」に値する(身体的欠陥等を指す場合もあるかも知れないが、今回は該当する話ではないので考慮しない)。
しかし同じ駄目人間でも、それらは努力の度合い違う。一所懸命やってそれでも目的に沿った物が達成出来ない人と、何もやらず挑戦さえしない駄目人間は明らかに印象も違う。同じように考えてみれば、同じ失敗でも良い失敗なのか悪い失敗なのか考える事が出来る。
ただ、考えてみてほしい。それを「失敗」か「成功」か見極めるのは本人であって、他人からいいねーと言われても実際は本人と考えている事柄と違う事がある。コミットメント100%履行したとしても本人は自分自身の最大限の威力を発揮してないと思い、劣性を感じる。生憎、プライドやら自己に置けるアイデンティティー感があり、実際には目的を達成しているのにも関わらず、そう思い込む。つまり『目的に成功した失敗』なのである。同じように「楽しい」「つまらない」を決めるのは他人ではない。誰がなんと言おうと本人次第。
人間は限界を超える力を出せる時がある。それは火事場の馬鹿力やら喧嘩の時やら、本来自分の能力にストッパーを掛けていたのが最大限に発揮できる。感情論を優先し批判する人は具体的例を挙げず、対処法を挙げて理由を説明しない為に泥沼となる。不幸と言うべきか悪循環の元はたくさんある。それは「成功かどうかを判断する他人」か「単に批判をする人」なのか全てがそうだとは言えない。そこに駄目人間が入る場合もあるし、入らない場合もある。
人間は誰しも間違えは起こす。だからこそ、最善を尽くす努力をするし、起こってしまった物はしょうがないので次回へ活かす。
駄目人間。それは、指導する元・批判する元。根本も悪い部分もある事を理解しておく必要がある。そう、勉強する前に「勉強しなさい」と言う人と同じ原理。許容範囲が無い人も同じ。
ようするに。
『指導者なる親の立場の者が、どいつもこいつもウンコ過ぎ』
