新しいことをやるには批判がつきものである。けど、実際批判される人よりも批判する人の方が問題がある可能性が90%と自分はいつもみている。  例えばよく仕事で上司が部下を叱ったりする。

 「こら、貧乏ゆすりやめなさい!」

 けど、それは貧乏ゆすりが悪いのではなく、貧乏ゆすりをさせる原因を察しないのが悪いし、そもそもその貧乏ゆすりをさせる原因が会社にあるのであれば、そもそもその原因を作っている会社が悪い。しかも叱っている人はそれに気が付かず、「貧乏ゆすりを抑制させる行為」を指導する。これはもう完全にうんこであって、それを実行する上司がいる会社は速攻やめるべきである。

 物事には理由があり、それにつながりがある。
 そういったつながりを解消する先見性を見ず、行為を抑制ばかりさせる人が多い。一度作ったルール、法律はなかなか削除されない。だからそういった物事を停止させることは最終手段であるべきである。

 例えば、「暑いからイライラして貧乏ゆすり」していたとして、その根本的な原因が冷房自体が故障してつけられない、もしくは、冷房をつける予算がないっていう原因だったとする。自分なら仕事場所を変えることを提案するし、なんなら仕事短縮して別の涼しい日にやってもらうのもあり。働く時間を8時間と決めている会社がやっぱり悪いのである。フレックスタイムを採用していない会社がわるたんなのである。

 利益を追求しなくてはいけないのに、利益を不純な方法で抑制ばかりしている行為は、もう終わりにしてほしい。

 当方はよくリアルでは言ってますが、人生自体に意味がないと日々思っている。しかしそれを言うと、いい日もあるよと反論する人もいるけど、実際悪い日があることを考慮しない発言でしかならないと思う。こういった裏にある言葉、意味を理解していない方が何かをするのは、マイナスでしかない。

 人の気持ちをよく考え、行動できる人の周りにはたくさんの人が集まってくる。
 お金で買えないのは信頼であり、その信頼を勝ち得るためには、人それぞれの"想い"が、真剣に伝わり、先見性を考えた行動であることを当方は大抵の人に期待したい。

 まぁ当方は怒られも、怒りもしないけど、近場でちょっと事件があってそんなことを思った1日であった・・・。