今では当たり前の中に潜んでいると、注意しないと周りってよく見えません。私は人の変化に敏感で、どうしたの?だいじょぶ?とかよく声を掛ける。けどもそんな中、そうでなくても私はみんなが見ている客観性を通した「幸せ配達人」という人物を誤解していると思う。

 よく理解出来る人は、もっとたくさんいるだろうし、自分が何もしないことによって世界が止まることは一切ない。そう断言できる。けども・・・

それは、誰もがすぐ気が付いて―――
「優しすぎなんだよきっと。誰もが振り向くけど、それは誰にでも与えられる優しさだから。女の子はみんなじゃなくて『私だけを見てほしい』って思うものでしょ?」H.T
誰もが幸せでもいいかなって思っていて―――
「寂しがりっぽいけど いっぱい友達いるみたいで 忙しそうな人」-nyahi-
限界を感じながら様々な人と話しても―――
「まじめで純粋 シャイの照れ屋。こんなにやさしいおねいさんに対してえろいことをいうと激しく拒絶されるのは残念。そろそろ抱いてくれてもいいレベル」Izumin
面白い仲間がいるから今まで普通にできていたことだってたくさんあって・・・。
「あんたしかできないことをさせてるのは、あんたが凄いからじゃないの?」もっちり
違うよ。それは、誰にでもできる優しい心遣い。
「毎回会う度に、何かに気付かせてくれる、不思議な力をもったお方です。是非一度、会ってゆっくり話をしてみたいものです。」ほりぐっち
本当はその魅力は、正しくなくて―――
「イメージとしては『まじめ』w 人のいいところをちゃんと見てほめてあげれることろは、すごいなぁー!って感心する。」うーたん●
本当はその魅力は、正しく見えてなくて―――
「すぐ潰瘍できるのに他人のことばかり優先しちゃう優しすぎるこ。 」めぐみ
みんなは僕の魅力を勘違いしている。


 本当に魅力ある人は誰に対しても好かれる。でもその魅力には種類がある。「知り合いたい」と「もっと仲良くなりたい」の差は天と地のさほどすごい差があると思う。自分はリアルでも自分の自負として自慢できるほど知人は多いからたくさんの人と話してくる方が多いけど、仲良くなりたいと思われることはほぼない。その差は結構な差だと思う。きちんと評価をするには、その人とずっと過ごしていて他方にわたる色々な魅力を解析するところから始まると思う。

お台場夜景

 お台場の夜景って綺麗に見えるのは、過去の思い出と決別したから。

 ※各言葉は、実際に誰かが発言した言葉ですが紹介の関係上、一部省略、修正などを行っています。