●●●●(某ダンスゲーム利用者/この記事執筆当時は普通に名前出してたけど、本当にキャパが無さそうだから伏せた)もそうだったけど、許容範囲が狭い人がほんと多いね。どんだけキャパシティ能力がないんだよと吼えたいけど、ご本人達は批判に忙しく、頭に血が上り相手にもしないから、意地が悪い。感情的になれば言わなくても良い事までも言ってしまうが、それでも相手側にキャパシティがあれば、問題にならないし、その人へ今後への教訓を与える事さえ出来る。
昔から情報発信を大切にしている当方が特別に気をつけて欲しいと思われる点を挙げてみる。「意見」を言う時に気をつけておきたい点は以下の通りだ。
1.的確に。
情報を正しく書く
2.具体的に。
情報を詳しく書く
3.客観的に。
情報を(第3者からの気持ちで)観る
4.簡潔に。
情報を詰め込み過ぎない
5.論理的に。
情報の原因と結果、過去と未来、因果関係を結びつける
よくあるのが、この「1」だけを書いて終わりの人。この件が一番扱い辛い。もうコイツはメンドクサイ。とにかくめんどくさい。だから何も言わない。
2・4については相対しているが、どっちもどっちで行き過ぎてもいかな過ぎても良くない。それはなぜか。ネギトロに醤油を掛けなければ味気ないし、掛けすぎだと食べられないから。
3については、特に意味を誤解してほしくないんですが、「自分はこう思う。だから、周りの人もこうなのではないか」と思考をするのではなく「周りはこう思う。事例はこうだ。だから、周りの人もこういったことも考えるのではないか」という思考プロセスをしてほしい。
特にそこで大切な事がある。例えば、A君の親が亡くなったとしよう。そして、B君は親が健在だったとする。では、B君はA君の気持ちが分かると思いますか?何度も何回でも言った事ですが、物事には全て理由がある。だから、裏の事情まで読めない人はそれがなんだかわからないまま批判をするし、思い込みが激しい人は、そうなんだーと意味不明のままさらに第3者へ言葉が伝達される。
病気になってないんだから、その時の気分なんか、他人に分かるはずが無いし、どんな気持ちなんか相手にとっては本当の意味でわかるはずが無い(例外あり)。それと考え方は同じ。
5.一つのことをあらゆる角度から見る事が大切。例:「赤信号 みんなで渡れば 怖くない。」 ・・・その意味は、一つの枠に捉えられず、前に進むという意味ではなく、本当の残酷さは起こってからではないと解らないという一つの見方しか出来ない人には理解出来ない客観性が響いている。
用件を喋る時は、無理に自分を知性化、合理化をする必要はない。本当に大切なのは今後に役立てる為なのだから。意見の押さえ付けではなく、なぜそういった思考に至ったのか相手のプロセスを読む事も大切なことを理解しなくてはいけない。
この記事を疑問に思う方は「『なぜ』という試行錯誤」という過去記事も参照されたい。
